だいさく NOSAI獣医日記

強みをみつけ、チャレンジを与えられる獣医でありたい

お世話になった酪農家さんが酪農業を引退します

獣医師人生の1つの区切りが来ました。

自分がNOSAIに就職してから、公私で最もお世話になった酪農家のAさんが酪農業を終えることになりました。

理由は、おじさんの体調不良が最終的な決断になったとのことです。

おじさんは以前から肺が悪かった(肺気腫)のですが、なかなか病院に行かれない(誰が言ってもいかないちょっとというかすごく頑固な性格でいらっしゃいます)状態のところ、今月頭にコロナに感染し一時は危ない状態でした。今は自分のことは一人でできるくらいに回復されていますが、酪農業を行う体力まではなく、おばさんが一人で行うには体力気力ともに厳しく、それで終止符を打つことになりました。

後輩から「おばさんが話があるとのことです」と伝えられ、家に向かいました。おばさんから上記の内容を伝えられた途端、今までのことが思い出され、恥ずかしながらおばさんの前で泣いてしまいました(おばさんは泣いていなかったですが)。家に帰って妻と子供たちに、「Aさんが酪農辞めるんだ」と言ったときも思わず泣いてしまいました。

それだけ、自分の中では大きな存在の農家さんでした。

今から16年前の2007年の新人時代、このAさんで初めて、初診から診療を担当させていただいた搾乳牛がいました。自分がカルテを書いた第1号の牛です。

分娩後のケトーシスと診断し、朝と夕の2回ブドウ糖、肝臓系の薬等を点滴したりするなど、自分が考える限りの治療を行いましたがなかなか良くならず、いつの間にか40診を超え分厚いカルテになったのを覚えています。大量の点数を使ってしまい、牛とAさんには大変申し訳ないことをしてしまいました。有難いことに、いつの間にか回復してくれこの搾乳牛は元気にその後も活躍してくれました。

他にも色々思い出があります。

  • 頑固なおじさんですが、若造の自分が提案させて相談させていただいた診療内容や搾乳関係の手技などにほとんど応じてくださった。
  • おばさんは、いつもお菓子とお茶、ヨーグルッペ、栄養ドリンクを準備してくださった。
  • 娘たちの誕生日には毎年プレゼントをくださった。
  • 娘たちの小学校入学時にもプレゼントをいただき、ランドセル姿を見てもらいたく、牧場に向かった。
  • 自分が試したい診療技術をさせてくださった。
  • 自分がやらせてほしいと相談させていただいた有料の定期繁殖検診の契約を快く承諾してくださった。
  • 大学院の研究の一環であるホルモン測定(牛も元気なのにやらなくても良い採血に我慢してくれました)にご協力してくださった。
  • 1年目、Aさんの牛の診療に向かう最後の上り坂の途中で、先輩から電話があり、教科書「牛の臨床」を買ったのかといわれ、まだ買っていませんと答えたら、結構怒られた記憶がある。
  • 1年目の大雪時に難産で呼ばれ向かったが到着まで1時間かかったときに、ばあちゃんから「遅い」と言われ、より近い町に1か月後引っ越すことにした。
  • カウリフトが外れ、近くにいた自分の頭に飛んできて左目を流血し病院送りに。目に眼鏡のレンズの破片が入っていた。
  • 診療が多く心が荒れていた3年目、夜9時半くらいと非常に遅くになっても「ご苦労様」と暖かい言葉で待ってくださっていた。にも拘わらず、診療が終わり次の診療を向かおうとしていた時「ついでにこの牛も」を言われたときに自分は嫌な顔をしてしまった。暖かいお気持ちを台無しにしてしまった。(自分のことしか考えていないちっぽけな自分にしばらく後悔することになった)
  • 牛舎内ではおじさんのおばさんを呼ぶ気合の入った声が飛び交う(これがなくなると寂しいなと感じた)
  • 3年前おばさんが慢性的に膝を痛めて、夜痛くて寝れないとのことで、その手術を勧めた。夜は寝れるようになるまで痛みは減るも可動性に関しては完治するまでに至らず、おばさんの歩く姿を見ると本当に勧めてよかったか今でも悩む時がある。
  • おばさんが膝手術で入院中、おじさんが「片腕がもぎ取られた」と話され、いつもより弱気な一面を見せていて「いや〜おじさん両腕ですよ」とツッコんでしまった。
  • 13年ほど主治医としてお世話になりましたが、後輩にその役割を任させることになったときにも快く了承してくださり、後輩を育てることにご協力いただけた。
  • なんといっても、おじさんとおばさんは、自分の父親と母親と同じ年で、さらに息子さんは自分と同じ年という、不思議な巡り合わせ。本当に息子のように対応していただき、自分も母の日にはお花をプレゼントさせていただきました。

など、挙げればきりがないですが、このように思い出がかなりあります。

Aさんの牛たちは、この町の酪農協会の会長さんが「Aさんの牛は、この町で残すよ」とお話されていたとのことですが、Aさんは「うちの牛は癖があるから、いいよ」と返され、結局、農協主体で市場に出荷する流れとのことです。

 

最後になりますが、わがままな自分を暖かく育ててくださったAさん御夫婦には感謝しかありません。

本当に本当にありがとうございます!!!