だいさく NOSAI獣医日記

強みをみつけ、チャレンジを与えられる獣医でありたい

おこがましい診療姿勢を叱った

3日前、後輩を叱った。

牛の病気に対して”おこがましい”診療姿勢をとったからです。

状態が非常に悪い子牛を初診で診療し、診断し、治療を行っていました。

事情を聞きました。

似たような状態の子牛を診たことがあり、その時に診療所の先輩から教えてもらった病名が頭に浮かび、それだと判断し、さらに車に戻って教科書もみて、やはりその病名だと自分で診断し、治療までもっていったとのことです。

この姿勢や行いは、前はできなかったので努力してきたことに対しては尊重できます。

しかし、自分は、後輩のこの姿勢と行いを、”おこがましい”と伝えました。

ここからは、自分個人の考えであることをご了承ください。

病名を考えるにあたっては、最初に仮診断を行い、そこから一つずつ類症鑑別していくことが大切であると思います。

農家さんから話を聴き、症状を細かく観察して、早い段階で一つの病名に絞ってしまうのでなく、まずは可能性が”少しでもある病名を列挙する。最初のうちは多すぎてもいいです。

後輩は、その場で教科書を読みましたが、そこの臨床症状の欄に記載されている内容と合わないからこの病名は違う、という流れで他の病気をはずしていきました。

今回読んだ教科書は、「牛の臨床」という、牛に関わる多くの先人の獣医師の方々が、多大な時間と多大な労力をかけて練り上げてきた、偉大な教科書です。この教科書なくして牛の診療を行うことはあり得ないといっても過言ではないと自分は思います。

しかしながら、この教科書に書かれている病名は同じでも、”まったく同じ臨床症状の牛はいない”、ということです。だから、ほとんど違っても、わずかでも症状がひっかかれば、その病名ははずしてはならないと自分は思います。

しかし、後輩は”違う”、”これではないと判断し、類症鑑別からはずしてしまい、類症鑑別するための仮診断の段階で結果1つだけの病名に絞っていました。

そして、その病名に対しての治療を行い、翌日悪化し、翌々日には1号廃用となり安楽殺となりました。

牛は自分たち獣医師のものではありません。農家さんの財産です。

なので、”畏れを持たず、違うと決めつけ、違うと判断した病気の可能性をはずしていったその姿勢”は、農家さんの財産を脅かすやってはいけない行為なので、自分は叱りました。

自分もそうですが、自分が尊敬する獣医師歴30年以上の先生方でも、今でも、畏れを持ちビビりながら診療していると話されます。まだわからないことがあるし、だから今でも勉強していらっしゃいます。治療の終わったあとの車の中で、内省されていると話されます。

昔読んだ手塚治虫先生の漫画のブラック・ジャックでもこのような文章があります。

「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」と。

それだけ、医学・獣医学はわからないことが多いです。だからこそ、「わずかでも可能性があれば外さないぞ」という姿勢でいることが大切だと自分は思います。

後輩には、”違う”、”これではない”という流れで病名を決めるではなく、”これかもしれない”、”この可能性も考えられる”という姿勢で診療を行うようにと伝えました。そこから、さらに仮診断で挙げられた病名に対する検査を進め、類症鑑別に入るように伝えました。類症鑑別でまた悩んだら、仮診断の段階に再度戻ればいいのです。これを繰り替えしていけば、徐々に仮診断であがる類症鑑別の病名数も多すぎることは減っていき、診断力がついていくと自分は思います。

可能性を外せなければ、それに対する治療を全部行うくらいの気持ちで良いと伝えました。

この子牛に関しは時間との勝負でした。なので、可能性をはずさなければその病名に対する治療もなされており、助かった可能性が高かったかもしれません。

農家さんと子牛への本当に申し訳ない気持ちと、この経験を、これからの獣医師人生で本当に大事にするように伝えました。