「医者は聡明な人間ではなく、深みのある人間が良い。深みをもて。」
韓国ドラマ、チャングムの誓い34話で、シン・イクピル教授が主人公のチャングムに伝えた言葉です。
この言葉は、獣医師として自分が大切にしていることで、目指すところでもあります。
こどもの頃、水曜日のドラゴンボール、金曜日のドラえもん、土曜日の加トちゃんケンちゃんごきげんテレビを見るのが楽しみでしょうがなかったのと同じくらい、大学時代の獣医学科の4-5年のころだったと思いますが、毎週木曜日、このチャングムの誓いを見るのが楽しみでしかたなかったです。
余談はさておき、なぜ言葉を今回引用してきたかについて説明します。
ここからは自分の考えであり、賛否両論あると思いますので、参考にしていただく程度で読んでいただければ幸いです。
このような出来事がありました。
往診依頼があり、1人の獣医師が向かい、診察しました。
患畜を丁寧に診て、この病気です、と伝えた。
そして、それを治すための治療を行った。
しかし、治りが悪く、農家さんは不信感を持ち始めた。
時間は少しかかり、患畜は痩せてしまったが治癒し、経過観察となった。
この出来事で問題だったのが、治りが悪かったことではありません。
勉強し、知識もあり、責任感もあり、丁寧に患畜も診て、農家さんと会話もしっかりできる獣医師ですが、欠けていた点が、自分一人で診断し、診療を進めていった点です。
農家さんと話しをしてはいますが、何年も牛や馬を間近でみている農家さんが経験から「この病気ではないかい」と話しても、「私はこの病気だと思うので、この治療でいきます」と決め、農家さんの意向を加味しない診療姿勢で進めた点です。
獣医師として、的確な診断をし治療方針を決めることは非常に重要なことです。しかし、自分は、それをどのような姿勢・気持ちで行っているかがより重要であると思います。
自分は患畜を診る前に農家さんへの問診時間を大切にし、次に患畜を診て、そのあと、さらに農家さんに聴き取りを行い、農家さんと診断を進めて、治療方針を決定します。この対話の中で、自分はこの病気だと思いますので、この治療方法で行こうと思いますと話しますが、農家さんもこの病気ではないかと話す場面があります。農家さんが思った病名が間違っていたり、その治療方針だと牛や馬の治りが悪い、だめになってしまう可能性が高いと自分が判断した場合は、「それは間違っているのでやめましょう」と言いますが、もしその判断が危険な範疇に入るような進め方ではない場合、農家さんからこの薬を与えるのはどうと相談され、最高ではない時もありますが、それは自分も患畜を治す方法のうちの一つだと判断した場合は、「そうですね、それでまずは行ってみましょうか」と話したりして、農家さんの意向をその場面場面に応じて比率を変えながら組み入れ診療します。
なので、自分のことを診断や治療を農家さんまかせな無責任な獣医師だと思われる方もいらっしゃると思います。
しかし、牛や馬を養っている農家さんは牛や馬が財産でありそれで生計を立てていらっしゃるプロである以上、農家さんから多くの情報を聴き取らない、農家さんの意向をあまり取り入れないで獣医師が決めていく姿勢は、自分は好きではありません。
この農家さんは、自分の意向を組み入れてくれた上で治りが悪いのだったら、不信感を持たれなかったですが、獣医師が一人で決めていったために、不信感が生まれたと、その農家さんから自分は話を受けました。
非常に悪い言い方ですが、獣医師は一歩間違えれば農家さんを潰してしまうことができます。自分も、牛群の餌設計を勉強して臨んだつもりが、誤ったやり方で、虚弱子牛を生ませてしまい、2頭も死なせてしまった経験が最近でもあります。
なので、頭が良く、知識が豊富で、なんでもできる獣医師よりも、謙虚な姿勢で、畏れをもち、だから勉強をし、農家さんとの会話ではなく対話を大切にした上で診断治療を行う姿勢を常に持つことを自分は大事にしていきたいし目指したいものであり、そのような姿勢を持つことの大事さを伝えることが必要であると自分が感じた後輩には伝えていきたいです。