だいさく NOSAI獣医日記

強みをみつけ、チャレンジを与えられる獣医でありたい

恩師の言葉

昨年は、家族も大きな病気をせず、皆自分のやることに一所懸命走った一年でした。

それを支えてくれた妻に本当に感謝です。

 

個人的には、高校時代のサッカー部の故松澤隆司総監督と奥様の和子様、竹田順数監督に博士号取得を報告することができたことが最大の喜びでした。

本当に喜んでいただき、自分が逆にうれしかったです。

 

その中で、総監督が指導者を引退するにあたって、46年の指導者人生の歴史と、その中で学んだこと、感じたことを残された新聞の切り抜き記事を奥様から沢山いただきました。中には当時自分が言われた言葉もありました。

この年になって読むと、尊敬できる人の考えや姿勢は、時代が変わって世の中の価値観が変化しても、本質は変わらずいつも土台になると自分は強く感じました。

 

自分が特に印象の残り、先生も今を生きる誰かのヒントになればと思い取材を受けられたと記されていたので、自分だけでなく多くの方々にも伝えることが自分の役割だと思ったので、先生の言葉を何個か紹介させていただきます。

 

やり切った、という思いだった。区切りをつけるために、勝つために書き記してきたノートやいろんな資料をすべて燃やした。私の足跡が記録として残らなくてもいい。1000人もの教え子がいる。それで十分。  引用元 南日本新聞 2015年10月18日 28面

 

仕事を遺すよりも、人を遺すこと。自分はまだまだ未熟で意識してもできていない時があり過ぎますが、今の自分が最も意識し土台にしていることです。

 

私は個性の強い選手が好きだ。それを消したくはない。個性を生かしたまま何とかチームになじませる。それが指導者の醍醐味だ  引用元 南日本新聞 2015年11月8日 26面

 

診療を遂行する上で必要最小限の知識と技術を身につけることは獣医師としての責務ですが、それを行った上では、獣医師は皆が癖・旗を持つべきだと自分は思います。確かに診療所がある地域の特性や診療所の獣医師数が影響すると思いますが、そこそこ人がいる状態ならば、全員が何でもできる獣医師(ジェネラリスト)の集まりよりも、ある一つの分野ならレベルが違い過ぎる、けどそれ以外の分野はたいしたことないみたいな人がいてもいいのではと自分は思います。管理職がそれを上手く融合するように働くことで、診療所として高いレベルになれるのではと自分は思います。

 

「情熱と我慢」。長い間、指導者をやってきて、それが結論のように思えてきた。才能より何より、勝ちたい、強くなりたいという「情熱」が一番大事。何度負けても、うまくいかなくても「我慢」して諦めず、悔しさを新しい「情熱」に変えて、努力を重ねていく。  引用元 南日本新聞 2015年11月7日 20面

 

だめなら我慢しないでどんどん次に進んだ方が良いという考えがあるのも少しは理解できます。しかし、人生(まだ40年ですが)上手くいかないことの方が圧倒的に多く、上手くいった時の方が有難いのだと思うことでいいのかなと自分は思います。でも、上手くいかなくても、まずはそこで我慢してより良くしていこうと自分ができることに集中して粘って努力を続けることで少しずつですが成長や達成感、自分が貢献できていると感じることができ、その繰り返しで情熱の熱を冷やさずに保ち続けることができると自分も経験からそう思います。

 

練習でも、試合でも自分自身の判断を大切にする環境づくりを心がけています。良い選手は、周りの状況を見て、少しでも早く最良の判断をして、自分の技術を状況に応じて使える。それが能力です。能力は自分で磨くもので、強制で身につけたものは試合では生きない。  引用元 南日本新聞 2000年3月20日 13面

 

診療所でのポジション・役割を教えるのではなく、それを本人自身が気づけるような環境をつくることが大切だと教えていただきました。

 

百四十人の部員のうち、試合に出られるのは一握り。大半は挫折を味わう。しかし、そこからが人生のスタート。すべてがうまくいく人生なんてない。サッカーがだめでも、一人ひとりに特性がある。生徒たちには「道は三六〇度の方向に広がっている」と伝えます。

監督として親として、子どもの良いところを早く見抜いて、それを生かせる環境をつくることが一番大切。そうすれば、一人ひとり自分の能力に気づき、賢さとたくましさを身につけていく。  引用元 南日本新聞 2000年3月20日 13面

 

中学3年時に先生と話をする機会を幸運にもいただきました。その時に、「うちでサッカーがしたいのか?もししたいなら、進学クラスに入って勉強することが条件だ。サッカーで食べていけるのは30歳まで。それもほんの一握りもいないかもしれない。君にとって、勉強を続けることが人生にとって大事なことになる」と話されました。自分が勉強をちょっとかじっていることは事前に調べていらっしゃったとは思うのですが、ここまで自分の人生について本気で考えてくれている人が親以外にいるのかと、自分は感動して、校長室を退室したあと心臓がバクバクしながら教室に戻ったのを覚えています。

その後の3年間は、毎日勉強する量が多く、サッカーする時間は短く、さらに試験の成績が良くないとサッカーができないなど、精神体力ともに本気で辛い毎日でしたが、そこで精神的をことを教えてくださったのが竹田先生でした。15~18歳のこの期間の経験が自分の人生の源流となっています。

 

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

先生の考え、姿勢、言葉が、年齢関係なく、読んでくださった方々のお役に立てれば幸いです。